薯蕷饅頭と練り切り






油断すると、じきに人指し指やお姉さん指からトゲのようなツメがでてきてしまう。バスや電車の中で座れたら、ケイタイいじりより指先ケアのが大切。ひつこくひつこくハニープロポリスやハンドクリームを塗り込んでいたある日、トゲツメがぽろりと自然にとれたときは驚いた。
昨年の確定申告も二月のこんくらいか、もう少しあとくらいに税務署へ行った。その足で東寺のみなみ会館で『この世界の片隅に』を観た。鼻風邪の悪化が続くなか、毎夜の多量の寝汗のせいで睡眠不足に悩まされ鬱々と過ごしていた昨年の冬。映画館のなかで、わたしと同じような咳のしかたをしている同じような歳の女性がいて、それに慰められたような更に絶望の崖から突き落とされたような気持ちで観ていた。その日は二月らしい陽射しがあり晴れてはいたけど、東寺を吹き抜ける風は未だ未だ冷たくて体がまた凍ってしまった。それでも確定申告を終え、映画館で映画をみることができるまでには回復ははじまった、という達成感を久しぶりに獲ていた。
本当に昨冬はどうかしていたから、冬を憎むことしかできなかった。余りにも病んでしまうとわたしのいるところがわからないし、憎しみしか言葉が見つからない。一年経って、ようやくアノ頃のわたしを憎しみ以外の言葉で確かめることができるようになった。今年は何故だか殆ど風邪をひいてない、腸炎で二日寝込んだけど、トゲツメの手入れに余念がないくらいに元気なのだ。
13時ころ、カレーハウス峰で頭つきの大きなエビフライ二本も入ったカレーライス(ごはん小) を平らげたあと、珠光茶会のことを思い出しながら、樫舎まで歩いた。今日はもう春ですかというくらい暖かく、樫舎の二階の喫茶席に案内されたときには汗だくになっていた。おしぼりとともに出された冷たい煎茶の美味しいこと。一口で飲んだ。美しい器を眺めながら、温かい上品な饅頭蒸しとお薄をいただいているうちに、もう一軒ハシゴしたくなった。二月堂修二会の松明の竹を脇目に二階から降りるときの方が目がくらくらした。
最早お茶を飲みたいのか、お菓子が目あてなのかわからなくなってきていた。二軒目のなかにしでは季節の上生菓子とお薄をおねがいした。ディスポーサブルなおしぼりと氷水とカジュアルなお出迎えだけど、床の間の生け花は早くも春らんまんを告げている。今日から試別火。紅い梅の形をした練り切りとお薄と春の花(あやめのような花ともものような花)で満たされた。会計をしているときに「珠光餅」なるものをみつけてしまったけれど、買って帰ることはしなかった。未練がましく、二月いっぱいまでの販売だということをしっかりと確認していたけれども。

うおこおりをいずる(魚上氷)




また、どでかいスピーカーの真ん前でGEZANを見てしまった。クアトロだからコンパスよりまだマシだろうと甘くみたけど、奥成さんがいたんじゃ、場所はどこでも関係ないや。
GEZANのアクトが終わってカルピスサイダーを飲み終えたら、急激な眠気に襲われた。眠気に勝てなくて、13年ぶりに音源リリースしたDMBQの演奏は殆ど見ないでクアトロを出たら、耳鳴りとゆうよりは左耳が鼻づまりのときに感じるような詰まった感じがして、嫌な感じがした。もう二度とスピーカーの前でGEZANを見ないぞ、と思う。前にもそう思っていた。
機嫌良さそうに出てきたかと思いきや、途中からやっぱり不機嫌になってきて、耳が良いといろいろ厭な声が聞こえてきて大変なんだね。そして、不思議な音楽を奏でてステージを去ってゆく。
GEZANってどんな音楽って聞かれるけど、どんな音楽って、わたしは言葉では説明できない。かっこいいことをゆうつもりはないけど、いつも全速力で形振り構わず音楽になろうとしているバンドのことを一体どんな風に説明すればいいってんでしょう。いつもまたやってしまった後に、このまま鼓膜がつぶれてしまって、わたしが好きな音楽が聞けなくなるのが怖くなってきて涙がでそうになるけど、体はつい前へ前へと動いてしまうからしかたがない。厭な声が聞こえないだけましだと思おう。本当にGEZANは、いつも走っている。スタートラインをゼロに戻して。いや、ゼロより更に後ろへ後ろへとスタートラインさえも全速力で戻している。GEZANには、積み上げてきたものとかそんなものどうでも良いのだろう。はっきり言って、積み上げきたものほど糞みたいなものはないのだろうって、そんな感じ。GEZANは、走ることにさえ意味を感じていないように思う。GEZANは、光より音楽より速くなりたそうだ。そうこうしている内に、次の日の夕方、電車を降りようとした時にポンッと炭酸の泡が弾けるように左耳の詰りがとれた。とれたらとれたで、一抹の悲しみを覚える。自宅の玄関の庭に咲いている蝋梅の香りがとても甘く、ジャスミンのような匂いを放っていた。

紀元節




平成三〇年二月十二日、
阪急御影駅より徒歩一〇分、蘇州園という森の中で『如月の夢』(http://cowandmouse.com/info/1825621)をみた帰りの電車のなかで奇跡のようなひとばかりをみました。御影に近いからと魚崎郷に寄って、三五度の吉野杉が香る焼酎や新酒や梅酒を試し飲みしたうえに、蘇州園でもその夜限りの特別な一皿にまたもや日本酒をいただいたので、お酒が弱いわたしは相当に酔っ払ってはいたけれど、それだけではない紀元節の振替休日の最終電車に乗り合わせた人々であったとおもいます。
ふたりの中年女ともだち風は、にゃあにゃあみゃあみゃあと発情期のように泣き喚く猫をいれた籠を持って電車に乗り込んできて、時折、片方の中年女が猫の鳴き声より大きく声を荒げて喋っていました。その声を荒げる時に話している内容は「引越し」にまつわることのようで、たぶん興奮してしまう内容は同じことのようで、その同じことを話すたびに声が大きくなっているのでした。そのみゃあみゃあと荒ぶる声がやっと無くなったかと思ったら、いたっておとなしそうなヒトの目を見ることもできないような細々とひょろひょろと背の高い青年が1.5リットルサイズのペットボトルを6本抱えて電車に乗り込んできました。6本のペットボトルを三本に分けてビニール手さげ袋に入れて持っていたのですが、膝に置いた3本を入れたビニール手さげは手さげ部分がすでに切れていたために、ひょろひょろ青年は3本をかかえこんで乗り込んできたのでした。はじめは、手さげだけが切れてしまっているのかと思ってたら、ひょろひょろ青年が膝のうえでかかえ方を変える度に、ビニール袋はどんどんと破けてゆきました。破けてゆくビニール袋から1.5リットルサイズのペットボトルは、ひょろひょろ青年の膝からどんどん逃げてゆこうとしています。逃げてゆくペットボトルをなんとかつなぎとめたいのなら、手に持っているスマートフォンを一度離せばいいのに、ひょろひょろは絶対にスマートフォンを離しません。離さないどころか、ひょろひょろはスマートフォンのイヤホンまで手繰り寄せようとしているのです。
そんなひょろひょろに気を盗られていたら、わたしの隣に全身ダルメシアン風の青年だか中年だがはたまたおばさんだかおっさんだか分かりにくいひとが座りました。聞き取れない声でなにかブツブツゆうてるようなゆうてないような、なにかと形容できないような臭いも放っていました。ダルメシアンはマスクをしているから表情もわかりません。あんまりどころか凡てが受け入れがたい気持ちです。そうこうしているうち、左側のドアから乗り込んできた派手な高齢カップルが派手な声で話しながら乗り込んできて、わたしより右側ドア近くの空いたばかりの座席へ突進してゆき、近くでそこに座ろうとしていた中年男性に向かって「ちょっとすんません、ちょっとすんませーん!」と、叫びながら割り込んで座りました。座ろうとしていた中年男性は嫌な顔もせず快くゆずったようで、派手な高齢女は派手でよく響きわたる声で「私の方が年いってると思ったからゆずってくれたんやろ。見たらわかるもんなぁ、ちょっとだけ上にみえたんやろ?」と言いました。高齢男もそうとう酔っぱらっているようで、いつのまにか二人の派手な会話は席をゆずった男性も巻き込んでいました。お金の話をしているときに、不意に高齢男が「ダルビッシュやあるまいし〜」と鬼の首をとったように言いました。それが何故だかわたしの心に引っ掛かりました。
きっと言いたかっただけなんでしょう。ダルビッシュって、ね。
そうこうしているうちに、ダルビッシュもダルメシアンもひょろひょろも電車を降りてゆきました。ひょろひょろには、よっぽど、予備でいつもバッグに忍ばせている『しまむら』のショッパーをあげようかなと考えてはいましたが、ひょろひょろは電車を降りるときも6本のペットボトルを抱えながら、ついにスマートフォンを離すことはありませんでした。


二月の冷えて冴えきった星空のキラキラなことと云ったら、人間は死んだら星になるとゆうけれど、死んでからキラキラ星になるのには紀元節のお話しからまた始めないといけないですね。

あゝ、荒野


2021年、未来の新宿。305分の映画。原作は、寺山修司の長編小説『あゝ、荒野』。一日は、二十四時間で、一年は三百六十五日なのに、たった305分の物語りにどっぷりはまって浦島太郎になったような気分を久しぶりに味わっている。すべての登場人物たちの存在に意味が溢れすぎるほどあって、くんずほぐれず絡まりあいストーリーがきれいな編み目を紡ぎ、全くのフィクションがドキュメンタリーのように撮られて、どんなに悲惨で穢れ醜くあろうともすべての人物たちが美しすぎる。すべて、愚かだ。そして、なによりも新宿。歌舞伎町、の風景が一番泣けた。新次とバリカンが走り抜ける新宿の風景が一番泣けた。

七草粥(小寒)






あけましておめでとう二〇一八
暦どおりに季節が送られています
おかげさまで元気にすごしています
ことし平成30年のふゆをスキに
なることができたなら
つちのえいぬさん
よろしくおねがいいたします