紀元節




平成三〇年二月十二日、
阪急御影駅より徒歩一〇分、蘇州園という森の中で『如月の夢』(http://cowandmouse.com/info/1825621)をみた帰りの電車のなかで奇跡のようなひとばかりをみました。御影に近いからと魚崎郷に寄って、三五度の吉野杉が香る焼酎や新酒や梅酒を試し飲みしたうえに、蘇州園でもその夜限りの特別な一皿にまたもや日本酒をいただいたので、お酒が弱いわたしは相当に酔っ払ってはいたけれど、それだけではない紀元節の振替休日の最終電車に乗り合わせた人々であったとおもいます。
ふたりの中年女ともだち風は、にゃあにゃあみゃあみゃあと発情期のように泣き喚く猫をいれた籠を持って電車に乗り込んできて、時折、片方の中年女が猫の鳴き声より大きく声を荒げて喋っていました。その声を荒げる時に話している内容は「引越し」にまつわることのようで、たぶん興奮してしまう内容は同じことのようで、その同じことを話すたびに声が大きくなっているのでした。そのみゃあみゃあと荒ぶる声がやっと無くなったかと思ったら、いたっておとなしそうなヒトの目を見ることもできないような細々とひょろひょろと背の高い青年が1.5リットルサイズのペットボトルを6本抱えて電車に乗り込んできました。6本のペットボトルを三本に分けてビニール手さげ袋に入れて持っていたのですが、膝に置いた3本を入れたビニール手さげは手さげ部分がすでに切れていたために、ひょろひょろ青年は3本をかかえこんで乗り込んできたのでした。はじめは、手さげだけが切れてしまっているのかと思ってたら、ひょろひょろ青年が膝のうえでかかえ方を変える度に、ビニール袋はどんどんと破けてゆきました。破けてゆくビニール袋から1.5リットルサイズのペットボトルは、ひょろひょろ青年の膝からどんどん逃げてゆこうとしています。逃げてゆくペットボトルをなんとかつなぎとめたいのなら、手に持っているスマートフォンを一度離せばいいのに、ひょろひょろは絶対にスマートフォンを離しません。離さないどころか、ひょろひょろはスマートフォンのイヤホンまで手繰り寄せようとしているのです。
そんなひょろひょろに気を盗られていたら、わたしの隣に全身ダルメシアン風の青年だか中年だがはたまたおばさんだかおっさんだか分かりにくいひとが座りました。聞き取れない声でなにかブツブツゆうてるようなゆうてないような、なにかと形容できないような臭いも放っていました。ダルメシアンはマスクをしているから表情もわかりません。あんまりどころか凡てが受け入れがたい気持ちです。そうこうしているうち、左側のドアから乗り込んできた派手な高齢カップルが派手な声で話しながら乗り込んできて、わたしより右側ドア近くの空いたばかりの座席へ突進してゆき、近くでそこに座ろうとしていた中年男性に向かって「ちょっとすんません、ちょっとすんませーん!」と、叫びながら割り込んで座りました。座ろうとしていた中年男性は嫌な顔もせず快くゆずったようで、派手な高齢女は派手でよく響きわたる声で「私の方が年いってると思ったからゆずってくれたんやろ。見たらわかるもんなぁ、ちょっとだけ上にみえたんやろ?」と言いました。高齢男もそうとう酔っぱらっているようで、いつのまにか二人の派手な会話は席をゆずった男性も巻き込んでいました。お金の話をしているときに、不意に高齢男が「ダルビッシュやあるまいし〜」と鬼の首をとったように言いました。それが何故だかわたしの心に引っ掛かりました。
きっと言いたかっただけなんでしょう。ダルビッシュって、ね。
そうこうしているうちに、ダルビッシュもダルメシアンもひょろひょろも電車を降りてゆきました。ひょろひょろには、よっぽど、予備でいつもバッグに忍ばせている『しまむら』のショッパーをあげようかなと考えてはいましたが、ひょろひょろは電車を降りるときも6本のペットボトルを抱えながら、ついにスマートフォンを離すことはありませんでした。


二月の冷えて冴えきった星空のキラキラなことと云ったら、人間は死んだら星になるとゆうけれど、死んでからキラキラ星になるのには紀元節のお話しからまた始めないといけないですね。