うおこおりをいずる(魚上氷)




また、どでかいスピーカーの真ん前でGEZANを見てしまった。クアトロだからコンパスよりまだマシだろうと甘くみたけど、奥成さんがいたんじゃ、場所はどこでも関係ないや。
GEZANのアクトが終わってカルピスサイダーを飲み終えたら、急激な眠気に襲われた。眠気に勝てなくて、13年ぶりに音源リリースしたDMBQの演奏は殆ど見ないでクアトロを出たら、耳鳴りとゆうよりは左耳が鼻づまりのときに感じるような詰まった感じがして、嫌な感じがした。もう二度とスピーカーの前でGEZANを見ないぞ、と思う。前にもそう思っていた。
機嫌良さそうに出てきたかと思いきや、途中からやっぱり不機嫌になってきて、耳が良いといろいろ厭な声が聞こえてきて大変なんだね。そして、不思議な音楽を奏でてステージを去ってゆく。
GEZANってどんな音楽って聞かれるけど、どんな音楽って、わたしは言葉では説明できない。かっこいいことをゆうつもりはないけど、いつも全速力で形振り構わず音楽になろうとしているバンドのことを一体どんな風に説明すればいいってんでしょう。いつもまたやってしまった後に、このまま鼓膜がつぶれてしまって、わたしが好きな音楽が聞けなくなるのが怖くなってきて涙がでそうになるけど、体はつい前へ前へと動いてしまうからしかたがない。厭な声が聞こえないだけましだと思おう。本当にGEZANは、いつも走っている。スタートラインをゼロに戻して。いや、ゼロより更に後ろへ後ろへとスタートラインさえも全速力で戻している。GEZANには、積み上げてきたものとかそんなものどうでも良いのだろう。はっきり言って、積み上げきたものほど糞みたいなものはないのだろうって、そんな感じ。GEZANは、走ることにさえ意味を感じていないように思う。GEZANは、光より音楽より速くなりたそうだ。そうこうしている内に、次の日の夕方、電車を降りようとした時にポンッと炭酸の泡が弾けるように左耳の詰りがとれた。とれたらとれたで、一抹の悲しみを覚える。自宅の玄関の庭に咲いている蝋梅の香りがとても甘く、ジャスミンのような匂いを放っていた。