甘い囁きが




さみしい




午前一時すぎから二月堂の舞台(欄干)にもたれていまかいまかと待っていた。半にも近づくと、局から出てきた御婦人たちが、先に待っていたものたちの隙間を無理矢理みつけて当たり前のように入り込んでくる。それもなんだかなぁと思っているところに、驚くことを訊ねてくる女がいた。イマカラナニガハジマルノデスカ?まず耳を疑った。疑いすぎて答える気になれない。わざわざ真夜中の一時まで、二月堂の舞台に上がってきておいて、なにをゆうてるのか。だれも返事もしないそれでもオミズトリ?ときいてくるのが煩わしくて、はい。とだけ声を出してしまった。
夕刻に十本がいっきに舞台に並ぶおたいまつを絵馬茶屋から見た日、おたいまつが始まる直前に茶屋で席が隣になった婦人は、とても上品で、桑名から自家用車で見にきたのだと話してくれた。よく夫と二人でみにきていたのだけど、数年前に夫が病になり、初めて一人できたのだそうだ。今日のおたいまつは10分ほどで終わるから見たら直ぐに宿に帰ります、明日は交野の友人のところへゆきます、と話す婦人は、まるで糊こぼしの椿のようだった。宿で夕食があるのに、ついおぜんざいを食べちゃうのね、なんて恥ずかしそうに。いえいえ、わたしなんか、わらびもちのあとに茶粥まで食べてます、とまでは告げなかったけど、全部電気を消した茶屋からいよいよと結願を迎えるおたいまつを見るのは、静かで、おだやかで、大変しあわせ、だった。