ジュークボックスとニックケイブ



もうすぐ東寺から居なくなってしまうみなみ会館にて『アランフェスの麗しき日々』と『花筐HANAGATAMI』をみました。アランフェスは朝一番の回だからか、観客はわたしを含めて三人くらいのだったのに、次の花筐では、なんだかたくさんの人が待っていました。わたしを含め御年配の人が多かったです。
アランフェスに出てきたジュークボックスをみていたら、薪ストーブ並みに欲しくなってきました。はて、ジュークボックスは、今でも新品を作っているのでしょうか。あるルールのもと進む男女のダイアローグ、美しい夏のような景色に美しい声のトーンのフランス語が起きぬけで電車に乗ってきたわたしを眠りに誘いまくりました。対して、花筐は音量が大きくて、場面転換が多くて、不自然なまでに誇張した表現が目まぐるしく、渦潮のなかに突き落とされたような気持ちでみていました。大林宣彦監督作品といえば、子供の頃テレビで『さびしんぼう』や『転校生』を何回もみていました。子供の頃ですから深く考えることもなく、夢をみているようなお話し、くらいにしか思ってなかったなーと思ってましたが、子供ながらもお話しのあちこちに忍ぶ居心地の悪い黒い陰みたいなものに少しは気付いていたのかもしれない、と花筐をみていて思いだしました。大学生のころに『ベルリン天使の歌』をみたとき、若さゆえのフラストレーションがはち切れんばかりになっていたわたしには、魂の救済のような映画でした。いまになって強く印象づけられてきたアランフェスは、わたしを眠りに誘って深く同調させようとしていたのかもしれない。ジュークボックスから奏でられるだけでは飽きたらず、ニックケイブがピアノを弾きながら歌っている構図。アランフェスの麗しく流れる時間は、耳にするもの目に映るものが生々しく芳しく、すべての映画監督が嫉妬する時間だと思います。