チェルフィッチュ「三月の5日間」

miwakiti2007-12-09










(公演データ)http://www.bloc.jp/jollibee/data/1193296088


http://chelfitsch.net/12895.htmlより引用。

国立国際美術館開館30周年記念
第49回岸田國士戯曲賞受賞作品
『三月の5日間』
2007年12月8日(土),9日(日)
会場:国立国際美術館(大阪・中之島
作・演出 岡田利規
出演:山崎ルキノ 山縣太一 下西啓正 松村翔子 瀧川英次 村上聡一 松枝耕平



【解説】
アメリカがイラクへの空爆を開始した、2003年3月20日前後の東京が舞台。六本木のライブハウスで出会った男女が、そのまま渋谷のラブホテルへ行き、そこで5日間を過ごす。2人は、その5日間の間に戦争が終わっていればいいと夢想しながら、性行為に耽る。デモが通り、ニュースを伝える電光掲示板からは緊迫した国際情勢が伝えられる渋谷は、ふたりにとって、普段と違う、まるで外国の光景であるかのように見える。5日目の朝、ホテルを出て、もう会わないと約束して別れたとき、戦争はまだ終わっていなかった。要約すればそれだけの物語を、複雑な語りの構造と演じる主体の移行など独特の手法で伝える。その表現手法の斬新さと現代の東京に生きる等身大の感覚を鮮明に描いたことで、国内外問わず大絶賛を受けたチェルフィッチュ岡田利規の代表作。

昨日、12月8日(ジョン・レノンの命日)にチェルフィッチュ、観に行ってきました。
また、のちほどに。






ふと気付くと若い男がふたり、下の脇からあらわれて、前方、
だけど、端に寄り気味。
これから自分たちがやることを淡々と説明し始める。
説明が終わったというきっかけもなく、台詞のような、
つぶやきのような会話がいつしかおこなわれる。
話をしていない方は、意味もなく、屈伸のようなしぐさ、
それも非常に不自然。をしている。
道端でふと聞こえてきた他人の会話を盗み聴いているような気分。
話をしている本人も、話をされている相手も、その話に出てくる人物も、
「ひと」としての輪郭がちっとも見えてこない。
ただ、そこにあるのは、「出来事」だけ。
その「出来事」も、話しをする人物によって、その印象が違う。
まるで、ミステリー。推理小説


この芝居のあらすじは、上記に引用したそれを参考にしていただきたい。
ここには、淡々とわたしの心情しか書かない。
わたしはすでにこのあらすじの文章に誘惑されていたのかもしれない。
ただ、それだけのことだったのかもしれない。


六本木のライブハウスで出会った男と女。
外国から来たちょっとマニアックなアーティストのイベント。
よく考えてみると、なぜこの二人が意気投合してラブホテルに行くことになったのか
さっぱりわからない。
きっとそんなことはどうでもいいのだ。
いつも、わたしたちが知りたがっているのは、結果だけ。
そのあいだに何があったかだなんて、誰も気にとめてやしない。
そこに行き着くまでに抱いていた想いなど、
他人の想いなど、まったく、自分にはどうでもいいことだ。


ホームページの中の日記に、自分だけの世界を作り上げている女。
自分は、現実の世界に疎外されていると強く感じている。
あまりにも純粋すぎて、他人と喋るとき、挙動不審な行動をしてしまう。
あまりにも真面目に世界について考えてしまい、自ら世界と断絶しようとする。
哀しい。あまりにもピュアで痛い。


チェルフィッチュの手法が、現代の演劇界に衝撃を与えたとは、
それは、誰もが、そうきたか。そうくるのか。
と、うっかり気付かされたことにもあるだろう。
誰でもやれそうで、誰もやろうとしなかった。
そして、このニュー・ベーシックが、
今の時代をそのまま映し出している鏡なのだと気付いて、
また、さらに愕然とする。
ディスコミュニケーションという名のコミュ二ケーション。
この若き作家だからこそ、気付き得た手法なのかもしれない。
あるいは、無自覚に。