空からの景色



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なぜ?と考えてもしようがなかった
いつから?と思い出してもどうしようもない
危うきことを避けようとしたはずなのに、浅はかな都合でやっただけだった。
だから、ほら、昨日の空は、言葉通りの秋晴。宇宙に吸い込まれていく青色。


どうして‥
どうして‥
どうして‥
どうして‥
口答えし続けるの、

Nostalgic future



音楽は記号じゃない
音楽は文字じゃない
だからさ
四の五の謂わず
音楽を聴けよ


久しぶりに音楽を聴くような気がした。108円のイヤホンでiPodが送り出してくれる音楽を聴いて、泪が出てくるほどの幸福を感じたのは、テニスコーツのmusic exists以来だ。爆音が瑞々しい音の一粒一粒が、かすかすになっていたわたしの内耳に流込み、水を得たわたしの心臓はどんどん息をふきかえしてくるから、もう此の洪水を止めることがわたしにはできない。
今日までわたし、息ができなかったんだ。今までわたしは、息ができてなかったんだ。GEZANのsilence will speakが気付けしてくれたんだ。


未来なんてわたしにはない、もう未来をイメージすることなんてできやしないんだと背中を丸めていたんだ。ため息とゆうため息を吐き尽してしまったから、命がもぬけの殻になってしまってたんだ。すべてを世界のせいにしていた。だけど今は、もう今は大丈夫、黄土色の溜池に黒い鵜が群れているのを眺めても、透き通った碧色の湖畔に浮かぶ白鳥たちが踊っているように見えるよう。


生きているあいだの此の瞬間も彼の瞬間も、何一つ意味のない偶然の積み重なりなんだろう。それでも想ってしまう、彼のとき、報われることなど二度とはないと諦めていながらも、足掻くことをやめられなかった時間が此の偶然をもたらしたのじゃあないだろうか、と。わたしたちは、ただの馬鹿じゃない。馬鹿よりも酷い救いようのない神様も見捨てた阿保なのだ。
きっとわたしたちは、また死ぬ。何度も何度も死を繰り返す。此の次にわたしが死んでしまったとき、わたしは息を吹き返すことができるかどうかは、今はわからない。


後頭部に絶え間無く吹き付けてくる風が冷たい、今日は涼しいねと振り向いて何度も話し掛けてくるのを、わたしは永遠に気付くことはない。

つかのま



目には見えない魔法使いに、頭から四六時中眠り薬を振りかけられているかのような眠たさで朦朧としながらも、なんとか仕事にでかけた三日間。
佐保川の満開の桜をみていたら、吸い込まれていきそうになった。
こんな眠気に襲われるのは本当に春のせいだけなのでしょうか。眠気のせいだからか、さいきん痛みに鈍くなっている。痛みがなくなったのかなぁ、と思っていたけど、そんなことはないわなぁ。眠いのをとるか、痛いのをとるか、本当に悩むとこです。
花粉のように眠り薬がばら蒔かれていて、うまいバランスで傷みの緩和をしてくれるのなら、ずっと春でいてほしいなぁ。
朝の八時四十分ごろの川沿いは、皆、足早で無口に満開の薄白色の傘のしたを流れてゆく。
わたしはひとり取り残されてゆく。こんなにやわらかくて白いしあわせは本当につかのま。わたしはまた眠ってしまう、眠ってはいけないのに。